act.40『喧嘩』『喧嘩』おいらの毛が、一本一本ゆっくりと立ち上がった。 黄色猫は、おいらを見て、ハイエナみたいなニヤニヤ笑いを浮かべた。 『ふうん。おめえの子か?身持ちの硬いトラ公様も、新しい旦那が付いたらしいな。』 黄色猫の舐めるような視線が、ゆっくりとトラ猫の尻尾の先まで走る。 おいらは、ふうふう唸りながら黄色猫を睨み付けた。 『生意気なガキだな。いっちょ前に唸ってやがる。』 トラ猫は黄色猫を無視して、じっと禿猫の気配をうかがっている。 禿猫は、うっそりと、黙ったまま細い目でトラ猫を見ていた。 『メスだ。』 ぼそりと禿猫がつぶやいた。 『おいおい。ただのメス猫じゃねえよ。 兄貴は新顔だから知らないのも無理ねえけど、このべっぴんさんは、何を隠そう隣町のボスなんだぜ。』 黄色猫が舌なめずりした。 『ものにしちゃえば、隣町はおれらの物になるってことよ。』 トラ猫はちらりと、冷たい目を黄色猫に走らせた。 『あんた強いのか?』 禿猫はトラ猫だけを見ていた。 その細い目がぞっとするほど冷たくて、おいら思わずぶるりと震えた。 あっという間の出来事だった。 禿猫が、灰色の矢みたいに細く伸びて、その大きな顔がおいらの目の前に迫ってきた。 そのとたん。おいらはトラ猫に咥えられて、軽々と宙を舞っていた。 トラ猫のしなやかな体には、翼が生えているようだった。 足音も立てず、優雅に高い塀の上に降り立つ。 禿猫は、おいらたちを見上げながら、うれしそうに笑った。 でも、なんだかおいらはその笑みがすごく怖いと思った。 『俺はメスとは、やり合わない主義なんだがな。』 当たり前だよ! おいらは叫びたかった。 メスに喧嘩を売るオス猫なんて、すごくすごく悪者なんだぞ! 『俺は強いもんが好きだ。あんたは強くて綺麗だな。』 禿猫の大きな体が、ひと飛びで、おいらたちと同じ塀の上に立った。 『こにゃん。』 おいらを咥えたまま、小さく、くぐもった声でトラ猫がささやいた。 『受身はとれるわね。』 えっ?と思うまもなく、おいらは一匹で空中に浮いていた。 あわてて、背を丸め頭をおなかにくっつける。 くるりと視界が回って、おいらはよろよろと地べたに着地した。 おいらは、塀の反対側に投げ出されたんだ。 『トラ猫さん!』 おいらは塀の上に向かって叫んだ。 『こにゃん。逃げるのよっ!』 トラ猫は背中を大きく弓なりに曲げて、禿猫に飛びついていった。 トラ猫のあごが禿猫の耳を掠める。 禿猫がとっさに立ち上がって体をひねり、その体重をぶつける様にして、トラ猫を押さえ込んだ。 トラ猫の体が、頭半分塀からずり下がる。 『トラ猫さん!トラ猫さんっ!』 おいらは必死で塀に飛びついた。 塀は高すぎて、おいらは半分も前足が届かない。 おいらはカリカリと塀によじ登ろうとした。 ほんの少し上っただけで、ずるりと体が落ちていく。 おいらの爪が剥がれて、冷たいコンクリートの壁に刺さったままになる。 トラ猫は押さえ込まれながらも、体を起こし禿猫の喉元に噛み付いていた。 禿猫がブルンブルンと、まるで雑巾のようにトラ猫を振り回した。 おいらの上に、ぽたぽたと赤いものが垂れてくる。 血だ! トラ猫のだか、禿猫のだかわからないけど、おいらの目の中にも滴って熱い。 おいらは、ずり落ちた姿勢のまま、前足で目をぬぐった。 おいらの前足からも血が出ている。 赤くかすむ目を見開いた。 おいらの目の前には、いつの間にか黄色猫が、あのニヤニヤ笑いを浮かべながら立っていた。 act.41『懐かしい声』 に続く ジャンル別一覧
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